
Bilingualism, Multiculturalism and Second Language Learning,
Reynolds(ed), 1991,
Hillsdale,NJ : Lawrence Erlbaum. pp.183-201
"Second Language Learning in School Setting : Lessons from Immersion"
Fred Genesee
学校教育に於ける第二言語教育:イマージョンの教訓
フレッド・ジェネシー
- <概略>
- 学校教育に於ける第二言語学習及び指導に関して、イマージョンプログラムの研究結果から導き出された三つの教訓(Lesson)と、その理論的な背景について述べたものである。
●教訓1: |
第二言語教育と内容(content)を統合した教育方法は、
言語を単独で教える方法よりも効果的である。 |
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- 1960年代初頭の外国語教育に於いては、誤りは不正確な言語の形が身についてしまうので、当然避けるべきものであった。言語はそれが使われる状況(context)を抜きにして、或いは想像や、見せかけの人工的な状況の中で、学習されてきた。つまり、言語は、何ら現実味を帯びた内容や、コミュニケーション上の関心や価値を持たなかったのである。
- イマージョンの方法の特筆すべき点は、言語と教科教育(academic instruction)の統合にある。第二言語の学習は、十分に高度に意味のあるコミュニケーション上の状況のもとに置かれる。言語学習は、言語の正しい形を身につけるのではなく、理解しようとすること、理解されようとすることが刺激となって起こる。学習の動機(motivation)は、教科の遂行や進歩に支えられている。学習者はお互いに、或いは教師と、教科に関する事柄や社会的な事柄について、意見を交換するべく言語を使用するという経験を通じて学習を進める。ここでは誤りは悪いことではなく、学習者が複雑な言語の組織を身につけるための創造的な努力と見なされる。
- 言語と教科教育との統合は、教科の能力と知識が第二言語の指導と学習の基礎になっているということである。言語は学問的な事柄を議論するため車輪なのである。言語指導や学習は、教科教育に付随する。つまり、言語学習は提出された教科の課題(task)に基づき、それに従って進行する。 第一言語の習得は、認知と社会性の発達が同時に起こるので、双方が自然な形で進んでいく。言語はそれらが普通に進んでいく上で、重要な道具なのである。従って、低学年の第二言語学習者にとって、統合型の言語教育は、社会性の発達と認知能力の発達を考慮に入れたものであると言える。言語は、それが意味のある社会的な状況の中でのコミュニケーションと結びついてこそ、最も効果的に学ばれる。実際、人々は知っていること、知りたいこと、気持ちや態度、要望について語るために言語を用いる。学齢期の子供にとっては、学校のカリキュラムの教科内容がより意味のあるコミュニケーションの基礎になっており、教科内容は第二言語学習の動機を提供する。カリキュラムにおける教科内容は、それが学習者にとって興味深く、また価値のあるものであれば、効果的な動機となる得る。
- 教科内容の理解は、恐らく言語をマスターすることよりも重要である。教科やクラス内活動に関する教室内の談話(discourse)は、新しい言語のコミュニケーション上の機能を学ぶ実質的な基盤となる。現実の内容や談話抜きの言語学習は、概念形成に関わる、コミュニケーション上の中身を欠いた抽象的な概念を学んでいるのに過ぎない。学校の中で使われる様々な言語と、学校外で使われる言語とは大きく異なり、教師はこの点に留意して、第二言語教育の方法を工夫すべきである。
●教訓2: |
学習者同士の、或いは学習者と教師間の、
広範囲にわたるインターアクションを引き起こす
教育的なストラテジーや教科のタスクの使用は、
第二言語の学習に特に有益である。 |
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- イマジョーンによる第二言語の学習において大切なことは、単に内容と言語教育を統合させることではなく、どのように統合させるかということである。Krashen(1985)は聞く能力と読むことが第二言語において重要であると述べている。確かに、イマジョーンの生徒たちは、読んだり、聞いたりするテストにおいて、しばしばフランス語母語話者と同じような高い能力を発揮する。もっとも、彼らがより砕けた、話し言葉のレベルで同じような能力を発揮できるかは不明であり、実際、正課以外の場所でフランス語を理解したり、使用したりすることを難しいと感じている。
- Krashen(1981)がcomprehensible inputが増加すれば、言葉は自然に出てくると考えていたのに対して、Swain(1985)は理解することは第二言語にとって必要な条件ではあるが、十分ではないと反論し、発話(Language production)やoutputの重要性を説いている。神経心理学によると、言語理解と発話は別々のシステムを持っているようである。
- 言語発達の過程は、言語使用の過程(Ellis,1984)であり、outputすることは、学習者がどのように談話に参加しているかを知る上で重要(Widdowson,1984)なことである。談話とは、本来、話し合ったり、交渉したりする社会的な過程であるから、理解やinputと同様、発話やoutputを伴う。ところが、イマジョーンの生徒たちは、話したり書いたりすることについては、彼らが理解の分野で示したような高い能力のレベルには到達していない。多くのイマージョンのクラスでは、生徒たちが積極的に談話(discourse)に関わっていく機会は限られている。ほとんどの生徒の言語使用は、質問に答えるとか、教師によって意見を求められるとかといった形で現れる。個々のイマージョンの生徒の言語発達と環境を調べた数十年前の調査(Lengyel & Genesee,1975)でも、動詞のoutputが十分ではなく、outputの機会も限られていることがはっきりしている。広範囲な談話に関わる機会が不足すれば、理想とする言語発達は望めない。all-French schoolに通う、アングロ系の少数グループと多数グループの言語発達を調査(Genesee,Holoebow Lambert & Chartrant,1989)したところ、読み書きについては大きな違いはなかったが、同じ年齢のフランス系の生徒たちとのインターアクションが多い分、少数グループの生徒たちの方が聞いたり話したりする能力は優っていた。 クラスに仲間が存在しているということは、言語を使用する機会が増えるだけでなく、母語の見本(native language modelling)に接する機会も増えるということである。たとえ、それが非母語話者との談話であれ、広範囲に渡る機会は効果的である。
- Stevens(1976)は、活動を中心とした(activity-centred)イマージョンプログラムと、教師指導型のイマージョンプログラムの二つ後期イマージョンプログラムを比較した。前者は、国語、数学、科学をフランス語で学ぶのだが、生徒たちは学ぶべきトピックや、学習の時期、やり方を自分で選ぶことができ、しかも、プロジェクトにはモデルを組み立てるなどの手を使う作業や、認知作業(cognitive work)が含まれ、生徒たちは活発に活動していた。教室ではフランス語のおしゃべりが聞こえ、教師は情報の伝達者ではなく、コンサルタント(相談相手)や助言者であった。
- Ellis(1984)は、言語学習には、活動を中心に据えた(activity-oriented)インターアクションが効果的であると述べているが、生徒に選択の任されたactivity-orientedの統合型の言語プログラムは、学校教育における第二言語学習にとって、特に有益であるかもしれない。
●教訓3: |
言語学習を最大限に活かすためには、
教科のカリキュラムの開発において、
言語発達に即した系統立った明確なプランが必要である。 |
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- これまで、第二言語教育の分野において、学習時間が第二言語の到達度を決定すると信じられてきた。教育指導者(education planner)や親たちは、一様に時間が到達の重要な要素であると見なしている。しかし、最近の研究では、イマージョンにかけた時間と到達度との間には、必ずしも単純な首尾一貫した関連性は見いだせない。早期イマージョンと後期イマージョンを比較しても、フランス語の習得度に際立った違いが認められなかったという例(Genesee 1981,Adiv 1980)が報告されている。
- 時間の問題は、例えば学習者の年齢といった他の要素とも関連があるようだ。後期イマージョンプログラムの年長の生徒の方が、早期イマージョンプログラムの年少の生徒より、より良く、そして、より多くのことを学ぶ。それは、彼らの認知や母語が十分に発達しているからであり、また言語学習に対しても意欲的であるからである。とはいえ、時間の問題は、言語発達と相関関係があるので、やはり重要な問題である。
- イマージョンの生徒たちの言語発達は、学校教育における二つの異なった言語環境、明白な言語カリキュラム(explicit language curriculum)と、言外に示された言語カリキュラム(implicit language curriculum)に由来する。後者の場合、言語は数学、科学、社会といった教科の目的ではなく、規則的に、意識的に教えられることもない。学習者は、教科の科目を学習する過程で言語を学んでいく。即ち、言語学習は教科教育の中で起こるのである。つまり、言語は教科のカリキュラムを教えるために使われるものなのである。イマージョンの最も効果的な言語発達は、この言外に示された言語カリキュラムによるものである。そして、その理論的な根拠は、学習者が教科内容を学ぶのに必要とされる言語能力を学ぶということである。
- これまでのイマージョンの研究は、言語発達ではなく、言語の到達度に目が向けられてきた。イマージョンの生徒たちの言語使用に関しては様々な研究がある。Spilka(1976)とHarly&Swain(1984)は、話し言葉(oral language)の発達について、文法は母語話者に比べて不完全であり、語法も慣用的でないとしている。また、Genesee,Holobow,Lambert,Cleghorn,Walling(1985)は、書き言葉のフランス語もまた慣用的ではないと指摘している。Selinker,Swain&Dumas,(1975)によれば、彼らの話し言葉は、ピジン化ないしは化石化しており、発達の初期段階では正しく使われていた言語が、後になって誤って使われるところを見ると、言語学的な後戻りがあるという。
- これらは、言語カリキュラムの限界を示すのではなく、イマージョンの言語カリキュラムや、言語と内容を統合した第二言語のプログラムについて、重要な疑問を提示している。言外に示された言語カリキュラムを具体化する教科のタスクは、言語学的な意味で開発されなければならないし、教科カリキュラムの教え方も開発されなければならない。言語発達を系統的に考慮しない内容の教授では、複雑な教科の教材を扱うイマージョンの生徒たちの言語発達は、小学校の半ばで滞ってしまうなどの欠点がある(Swain,1988)。必要なのは、カリキュラムの作成者とそれをもとに実際に教える教師を助言することのできる、言語発達の言語心理学のモデルである。言語発達のプランは、教科の課題を選んだり、組み立てたりする時に役立つ。プラン無しでは、教師は学習者に目標言語についてのデタラメな情報を与えてしまうかもしれない(Swain&Carroll.1987)。
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