文献要約

Journal of Multilingual and Multicultural Development3(1), 
1982,  pp.17-40
"AN  INTERGROUP  APPROACH  TO  SECOND  LANGUAGE  ACQUISITION"
Howard  Giles  and  Jane  L.  Byrne

第二言語習得への集団間アプローチ
Howard  Giles  and  Jane  L.  Byrne

<概要>

 この論文では、まず、民族集団の中の誰がどの言語変種をいつなぜ使うかという問題に着目した、最近の言語と民族に対する社会心理学的アプローチを概説する。次に、民族間環境における第二言語習得についての最近の社会心理学的モデル2つ(Gardner,1979; Clement,1980a;1980b)を比較し、批評する。最後に、私達自身の言語と民族に対するアプローチを上の2つのモデルの重要な局面と統合させ、被支配民族集団の構成員が支配民族の言語を母語話者に近い熟達度にまで習得するのを促進する、または抑制する社会心理学的条件を特定しようと試みる。

言語と民族

 多くの学者同様、私達も言語は民族間の行動においてしばしば極めて重要な心理学的役割を担うと考える。発話の様式や言語は、ある民族集団の構成員であるために必要な属性となりうる。
 Giles & Johnson(1981)は、これまでの言語と民族に対するアプローチを大きく、社会言語学的見地、社会学的見地、コミュニケーション・ブレイクダウンからの見方、の3つに分類した。これらのアプローチによって、実り多い実験的研究が成されてはきたが、しかし、民族間の状況や言語方策、そして自分の属する集団の言語に対する態度などはケースによって大きな開きがあり、そのような問題が ある民族の環境から別のケースについて一般化した理論的予測を導き出すことを不可能にしている。
 最近、私達は、言語と民族に対して社会心理学的アプローチを用い、様々な発話の方策や言語態度の下に共通する過程を見つけ出し、集団に与える社会構造的影響をその集団構成員がどのように感じ取っているかという観点から考慮に入れることによって、実験的、理論的混乱を解いていこうと試みている。

言語と民族に対する社会心理学的アプローチ

 私達の理論体系の中には、社会的アイデンティティ理論の側面と自覚的な民族言語学的活力や自覚的な集団の境界という概念、そして複数集団の構成員という考え等が含まれる。

 社会的アイデンティティ理論
 社会的アイデンティティとは、何らかの肯定的、又は否定的価値と共に 私達が自分自身をある集団の構成員であると認識することであると定義される。社会的アイデンティティは自己概念の重要な部分を形成し、私達は、権力、経済力などの価値ある局面において他の集団よりも自らの社会集団を傑出させることによって 肯定的な意味での社会的アイデンティティを獲得しようとすると言われている。
 反対に、価値ある局面において 他の民族集団と比較し仲間集団が否定的な民族的アイデンティティを結論された場合、その構成員は より満足のいく自己概念を求めて個人的流動性、社会的創造性、社会的競争、などの方策をとると言われている。(Tajfel & Turner, 1979)
   このような肯定的な自己概念を求めた社会心理学的過程の中で個人が採る言語方策の中には、民族的発話の特徴の強調、維持、削減や言語的局面での社会的競争とその再定義、等が含まれる。

 民族的同一化の特徴に影響を与える要素
 民族的発話の特徴の強調や削減は、一部には個人の民族的同一化の強さによると考えられたため、Giles & Johnson(1981)は、社会的アイデンティティ理論を拡張し、個人の民族への帰属の特徴に影響を及ぼす環境的要素と個人的要素を調査しようと試みた。これらの要素には、自覚的な民族言語学的活力、自覚的な集団の境界、複数集団の構成員という概念を含む。
 Giles, Bourhis & Taylor(1977)は、この民族言語学的活力は 地位、人工統計、制度上の援助、の3つの要素に大きな影響を受けると主張しているが、しかし彼等は、この様な客観的に測定した活力と集団自らが自認する活力とを区別して考えている。最近では、理論上、客観的活力より自覚的活力の方に民族間行動を媒介するものとしての注目が集まっている。Giles & Johnson(1981)は、集団の自覚する活力が高ければ、その構成員の民族的同一化の環境的特徴が増し、その結果、不安定な社会的比較が作用している民族間環境において心理言語学的特徴を求めて構成員は自らの民族的発話の特徴を更に強調する様になると主張する。
 民族的同一化の環境的強さに影響を与える別の要素は、民族の境界についての個人の認知に関係するが、これについても私達は認知的な描写レベルのそれを強調する。この流れの中で、Giles(1979)は、民族の境界が’強固’と’柔軟’(Weber(1964)、F.Ross(1979)の’閉鎖的’’開放的’の2つの概念に各々対応する。)の2つの自覚を区別し、構成員は、自覚する全般的な境界の強さを高レベルで維持、又は、高レベルにするために、自分の言語的、非言語的境界を変えていくと示唆している。
 また、個人は普通、民族範疇以外の他の社会的範疇の構成員でもあるが、この事実も、個人が自覚する民族の境界に影響を与える。つまり、個人の民族への同一化と心理言語学的特徴への欲求の強さは、部分的にではあるが、他の社会範疇への帰属状況(帰属意識の強さ、集団内での地位の高さ、等)に依存する。

 主張
 言語と民族の分野において私達が採った社会心理学的アプローチは、社会的アイデンティティ理論の側面と それに関係する自覚的な民族言語学的活力、自覚的な集団の境界、複数集団の構成員という3つの概念を共に含む。私達は、以下の状況である限り、個人は自己を民族的に定義し、肯定的な言語的差別化のための方策を採る傾向にあると主張する。1)言語を集団のアイデンティティの重要な一面であると考える民族集団に彼等が強く自己を同一化する2)彼等が不安定な民族間比較をする3)彼等が仲間集団に高い民族言語学的活力があると自認する4)彼等が仲間集団の境界が強固で、閉鎖的だと自認する5)彼等が自分達に不十分な集団アイデンティティと低い集団内の地位を与える他の社会的範疇に強い同一化を感じない

民族間環境における第二言語習得の社会心理学的モデル

 次に、この時点において最も新しく重要な第二言語習得に関する2つの社会心理学的モデルを検証する。

 Gardnerのモデルとその批判
 Gardnerの枠組みの中には、社会的環境、個人差、学習環境、成果、の4つの範疇が含まれる。彼は、このモデルを用いて、習得過程においてこれらの変数がどのように発展的に互いに作用するのかを詳細に考察しようと試みている。しかし、彼のモデルは、他集団言語の学習を 集団間の関係を考慮に入れずに考察している傾向にあり、その点について、私達は、民族的同一化、その強さに影響を与える変数、そして民族集団間に作用する自覚的な関係などの概念に 第二言語学習についての社会心理学の分野において早急に理論上の位置付けを与える必要があると、主張する。現段階では、彼のモデルには限られた予測力しかない。

 Clementのモデルとその批判
 Clement(1980a)は、社会環境の諸側面が第二言語習得の過程においてどのように個人の言語的成果に影響を与えるかを説明しようと試みた。彼は、社会的環境内に広がっている状況(例えば、民族的仲間集団と外集団の相対的民族言語学的活力、等)と第二言語の運用能力との間に作用する個人の過程の中には、彼の言う'primary motivational process'が含まれる場合があると主張する。この過程は、統合への願望と同化への恐怖という相反する2つの力を内包する。Clement(1980b)では更に、統合への願望と同化への恐怖の帰着先を決定する重要な要素は第一、第二言語集団各々の自覚的な民族言語学的活力であると主張されている。
 このClementのモデルに対して、私達は3つの点について異議を唱える。第一に、Gardnerのモデルでは、教室習得環境と自然習得環境、言語的成果と非言語的成果、の2つを区別し、また、個人差に関する2つの変数である知性と言語態度にも先の2つと同様に理論的位置付けを与えているが、Clementは彼の枠組みの中でこれらを無視、又は却下しているにもかかわらず、その論理的根拠をほとんど述べていない。第二に、Clement(1980b)の枠組みの中には自覚的な民族言語学的活力が含まれてはいるが、彼は自覚的活力を地位と同等視している。私達は、人工統計と制度的援助の両局面にも同等の比重を与えて考察に入れたい。第三に、Clementは一般的環境にある個人は共通の傾向と第二言語運用能力を経験し、それが集団的成果に繋がると指摘しているが、それは集団内の同質性という根拠のない前提を包含するものである。私達は、個々人の民族的同一化の強さによって大きく変わる自覚的な集団的成果、という概念を採りたい。

第二言語習得への民族間アプローチ

 私達は、第二言語の熟達度を理解する時には常に動機付けがその中心にあるという点については、GardnerとClementのモデルに賛同する。また、自覚する第二言語学習の道具性と価値ある民族言語を保持したいという欲求、の2つの相反する傾向が個人の中におこりうると考える点についても同意する。しかし、私達の採る立場の中心にあるのは、集団間理論から得た概念や過程であり、それらは、GardnerのアプローチでもClementのアプローチの中でも考慮されなかったものである。
 第二言語の習得に道具的価値があることを前提として、私達は、被支配集団の構成員は以下の条件下において、支配集団の言語を母語話者レベルの熟達度にまで習得する可能性が最も高いと主張する。(1a)仲間集団の同一化が弱く、そして/また第一言語が民族集団の構成員であることの明らかな特性ではない (2a)民族間の比較がない (3a)彼等が仲間集団の活力が低いと認識する (4a)彼等が仲間集団の境界が柔軟で、開放的だと認識する (5a)彼等が他の多くの社会的範疇に強く自己を同一化し、またそれらの範疇が満足のいく集団アイデンティティと集団内の地位を与えてくれる。私達は、この5つの条件が、第二言語学習への強い動機付けを促進すると提案する。これは、すなわち、統合的態度であり、個人にとっては、’追加的’言語の習得ということになる。
 反対に、被支配集団の構成員が支配集団の言語を母語話者レベルの熟達度にまで習得しない可能性を最も高くする条件は、まさに上の(1a)から(5a)が示す条件の正反対の内容となる。この場合、支配集団の言語の学習は経済的、政治的には実行可能な方策であろうが、しかし、自らの集団に強く自己を同一化している構成員にとっては、それは高い社会的犠牲を払うことになる。



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