筑波大学教育研究科「教育学研究集録」第5集 1982年 pp.107-116
「アメリカにおける文化的多元主義と社会科教育」
森茂 岳雄
- 《要旨》
- アメリカでは、「文化的多元主義」(cultural pluralism)を背景に、1960年代の公民権運動を契機として、少数民族集団の権利要求が叫ばれ、教育の分野においても、各民族集団の子供の学習スタイルに適応した教授法の開発やカリキュラムの改善、多民族的、多文化的社会におけるより広い意味での学校教育のあり方についてなど、改革の提案がなされてきた。社会科教育の分野においても、文化的多元主義は、「民族学習」(ethnic studies)と呼ばれる新しい学習領域を生み出してきた。本稿では、アメリカにおいて主張されている文化的多元主義の歴史的背景と、それがアメリカの民族学習において如何に実現されているかという点と、文化的多元主義が日本の社会科教育に如何なる意義を持ち得るかという点の三つを問題にする。
- ●「アメリカ化」としての教育
- 独立革命期に活躍したクレーヴクールは、『アメリカの一農夫の通信』(1782)の中で、アメリカに来た移民は、混血によって人種的(生物的)にも融合し、また考え方や生活様式(文化的)という点においても新しくなると説いている。これは、即ち、「人種のるつぼ」(melting pot)的な考え方である。また、ユダヤ系イギリス人の作家イスラエル・ザングウィルは、戯曲『るつぼ』を著し、この「るつぼ」説を大衆化した。その後、「るつぼ」というメタファーは、アメリカにおける移民の「同化」(assimilation)過程を考える一つの解釈モデルとなった。しかし、実際には、あらゆる人種が平均化して「アメリカ人」を形成していったわけではなく、アングロ=サクソン流の生活様式や価値が、その後の移民の同化の基準になっており、すなわち「アメリカ人」になるといことは、アングロ=サクソン化することを意味していた。
- 「WASP(White Anglo-Saxon Protestant)優越論」は、1890年代になって、非アングロ=サクソン系である東欧や南欧からのいわゆる新移民の流入が増すにつれて高まっていった。特に新移民の増大した20世紀の初頭には、移民のアメリカ化が教育の任務として明確に認識され、そのため統一的・体系的に整備された教育制度が模索された。 特に学校では、アメリカへの同化の第一歩として共通語としての英語教育に重点が置かれた。イタリア系アメリカ人として、はじめてニューヨークのハイ・スクールの校長に就任したレオナード・コベロは、「当時イタリア語はアメリカの学校では全く無視され、イタリアやイタリア語、著名なイタリア人についてなど学んだ覚えがない。むしろ、イタリア人は劣等を意味することに気づき、子供と両親の間に障壁ができた」と回想している。なかでも、「歴史」(アメリカ史)と「公民」は、学校カリキュラムの中で、移民の子供たちをアメリカ化するための道具として戦略的に用いられた。歴史の学習が重視されたのは、森田尚人によれば、封建制度も持たずに最初から近代国家として出発したアメリカにとって、自由主義という普遍的理念の発展の歴史を唯一のアメリカ的価値として教え込むことによって、国民的一体意識を生み出すことができると考えたからである。また、公民は、三浦軍三によれば、公民教育と社会科のユニークな要素は、アメリカ化と社会化に深く関係していたからである。
- ●文化的多元主義の台頭と社会科教育
- 「るつぼ」説に対する批判は、1915年ユダヤ系アメリカ人の哲学者ホレイス・カレンによってなされた。カレンは、移民たちが自らの属する民族集団の言語や宗教などの伝統的文化を依然として固執していることに注目した。そして、「統一の中の多様性、人類のオーケストラ」という言い方をもって、異なった文化的背景をもつ民族集団はそれを維持する権利を持つこと、アメリカという国家はその権利を保障するとともに各民族集団の文化的連邦にならなければならないと主張した。ここには、異質なものがモザイクのように組み合わされた文化の連邦になるべきであるとする文化的多元主義のさきがけを見ることができる。
- 教育において、文化的多元主義の先駆的試みとなったのは、ジェーン・アダムスのセツルメント事業であった。アダムスは、新移民が自民族の伝統的文化を保持しながら、アメリカでいかに生活してゆくことができるかという認識に立っていた。彼女は産業史の知識をもって、産業の歴史的発展の中に新移民の各民族と当時のアメリカの産業を連続的に位置づけて捉えることができると考え、1900年に労働博物館を設立し、織物産業の歴史に関して、さまざまな発展段階の労働の実演展示会を催した。産業の立場から見ると、歴史はただちにコスモポリタンになり、民族および国民性の差異は消える。アダムズの試みは、公立学校における望ましい学習のあり方─まず作業学習を導入し、次に作業学習との関連で産業史学習および3R'sへと進むべきだ─を示唆した。
- 社会科教育への文化的多元主義への反映は、「民族学習」という形でジェームス・バンクスによって理論化され、現在多くの学校でカリキュラムに導入されている。バンクスは民族学習をカリキュラム改革の一過程として捉え、アメリカ人の概念を再検討し、多民族的視点からすべての内容を再構成していく過程しとて構想している。カリキュラム改革の方向を考えるモデルには、「アングロ=アメリカ人中心のモデル」のA、これに民族集団の視点も付け加えた「民族付加モデル」のB、そして、歴史的・社会的事象をいくつかの異なった民族的視点から再構成し、学習する「多民族モデル」のC、そして、更にいくつかの国家の中の民族集団の視点から再構成し、学習する「民族−国家モデル」のDの四つがあり、これまで多くの学校はモデルBによっていたが、望ましい方向はモデルAから直接C・Dに進むべきだと述べている。例えば、モデルAに基づく植民地時代の歴史学習はイギリス人社会を中心にしたものであったが、同じ時期にスペイン人やフランス人も入植しており、また黒人やアメリカ・インディアンにとっても植民地時代の意味は違う。従って、学習をこれらの各民族の視点から総合的に再構成するのが、モデルCのカリキュラムである。
- ●日本の社会科教育における意義
- アメリカにおける民族集団の歴史や文化の再評価の主張は、日本においては地方(地域)や民衆の歴史・文化をどう評価し、その視点から授業をどう再構成していくかという問題とつながっている。また、文化的多元主義がもつ異文化の固有の価値をみとめあう「平和共存」の思想は、社会科教育における国際理解教育のあり方を考える一つの学習モデルを提出した。
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