Language Learning 42:4, 1992, pp.593-616
"Language Socialization in the Second Language Classroom"
Deborah Poole
第二言語の教室における言語に依る社会化
デボラ・プール
- <抄録>
この論文は、第二言語を教える教師が教室内におけるインターアクションで提示する文化的メッセージについて調査研究したものである。本研究は、オークスとシーフリンが唱える「言語に依る社会化」(1984、1986a、 b; オークス、1988)の見地に照らして、ESL初級の二クラスにおける教師と学生間のインターアクションを分析している。言語に依る社会化の研究方法では、言語的知識と社会文化的な知識の習得を相互に必須なものとして捉え、(ある社会文化やコミュニティーの)エキスパート(成員)と初心者間のコミュニケーションに現れる様々なフォームに、その社会文化の規範とイデオロギーの広範な影響が見られることを指摘している。アメリカ中産階級の育児語についてオークスとシーフリンが行った研究の解釈と、ESL教室内での日常的なやり取りが一致することも本研究のデータは示している。また、第二言語研究の大部分の文献に一般的に認められているのとは異なり、教師の言語行動はある程度文化的に動機づけられるものであることを示唆している。考察部では、教室内談話の様々な要素がどの様に文化的な規範や信条を記号化して取り入れているかを、
- a)初心者の能力の欠如に合わせたエキスパートの調整
- b)課題の達成
- c)エキスパートと初心者間の不平等の提示
- 以上三つの場面において具体的に焦点を絞って見ている。
- <要約>
オークスとシーフリンがかねてから唱えている「言語に依る社会化」(language socialization)を理論的枠組みとして、プールはアメリカの第二言語の教室(ここではESL教室)で参加型観察(participant observation)による調査(ethonographic study)を実施、教師と学生間で交わされたインターアクションの談話分析を行っている。言語教授の際に使用されるティーチャー・トークについては、従来の第二言語習得論ではインプット仮説を背景にティーチャー・トークの功罪を扱ったものが多い。しかし、プールの研究はそれらとは全く違った観点からティーチャー・トークを取り上げ、教師自身が所属する社会文化の規範を意図せずに提示している方法を分析している。
- プールの研究の理論的背景をなす「言語に依る社会化」を簡単にまとめると次のようなものである。
- 「言語に依る社会化」の過程は、一生涯様々な文脈で続くものである。
- 「言語に依る社会化」には二種の過程がある。一つは言語を使用するための社会化(socialization to use language)であり、言語の使用規則を教える具体的な場面を指す。もう一つは言語を通しての社会化(socialization through language)であり、インターアクションを繰り返して行う内に、インターアクションの中に記号化された社会規範がそれとなく提示されている過程である。
- 言語を使用するための社会化とは、例えば、育児に携わる者は子どもに「『ありがとう』って言いなさい。」と指導するするような場面を指す。この場面で子どもは『ありがとう』という言語表現の使い方、という社会文化的情報を知らされる。もう一方の社会化過程と比較すると、言語を使用するための社会化は明示的であるが、普及という点では劣る。これに引き替え、言語を通じての社会化の過程は潜在的暗示的であるが、日常生活のあらゆるコンテクストに広く見られる。これは、文化の観念(notion)を指し示す意味が入っている、器としての言語の使用によるものである。プールが言及している「言語に依る社会化」は、専らこちらの、言語を通しての社会化、を指している。
- 社会の成員(expert)とその社会の言語や規範について疎い初心者(novice)との間で交わされるインターアクションでは、エキスパートによる言語の調整(accommodation)が行われる。「言語に依る社会化」論ではこのような調整は社会文化の影響をうけたフォームであると考えている。オークスは西サモアの大人つまりエキスパートと、幼児即ち初心者、のインターアクションを調査し、アメリカ社会の主流に位置する中産階級白人(white middle class American, WMCA)が育児の際幼児と交わすインターアクションと比較考察した。その結果WMCAが幼児に話しかける時に行った調整はアメリカ社会文化の規範を反映していることが実証された。プールはこのオークスの研究をもとにESLの女性教師(同じくWMCA)のティーチャー・トークを分析考察している。また、大人と幼児、教師と学生、この二つのインターアクションの参加者の間柄は平等ではない、という点でも共通項が見られる。
- プールの研究のデータ・ソースとなった二クラスはいわゆるコミュニカティブな授業のクラスであり、学生は口頭練習によく参加している。この二クラスの根本的な違いは、席の配置の違いとその違いが結果としてもたらす「参加の構造」(participant structure)の相違である。教師1のクラスは、半円形に座った学生の前に教師が席を占め教室活動をリードする教師主導型。ところが教師2のクラスは、学生が教室活動舞台の中央を占め、教師は脇に位置しコーチか監督のような役割を演じる学生中心型である。
- 教師主導型のクラスでは言語の調整に4つのパターンが観察された。プールはそれぞれ以下のような名前を付けている。テスト質問(test question)、未完成文(incomplete sentence frame)、発話の拡張(expansion)、足場作り(scaffolding)、教師が質問をして学生から答えを引き出そうとするやり方である点は共通している。テスト質問では教師は既に答えを知っている質問を行う。「その絵には男の子が二人います。」という一つの陳述が、「あなたの絵には人が何人いますか。」という教師の質問と「男の子が二人います。」という学生の答えにまたがっている。エキスパートと初心者が協力して一つの陳述を組み立てる典型的な調整である。未完成文とは、学生が穴埋めすることで完成する教師の発話で、発話の拡張は、学生の不明確な発話を教師が足りないところを補って拡張する。足場作りは、求められる答えの言語学的複雑さを軽減するために質問の方を言い換えるという特徴を持つ。このようにエキスパートが初心者とのインターアクションで調整を行うことは適切であるとアメリカ社会で見なされていることが、育児語の研究でもこのティチャー・トークの研究でも実証された。また、他者の言おうとしていることは推測の対象になる、と教師が発話の拡張で示し、同じことをテスト質問と未完成文では、学生に推測することを要求して示している。オークスが研究したWMCAの育児語に見られた問い返し(clarification)による推測もアメリカ社会文化の規範を提示しており、この点でもティーチャー・トークと育児語は一致する。一方学生中心型のクラスでは、学生が話すことに自信がなさそうな様子を見せたときに手をさしのべる、というやり方で調整が行われる。初心者に能力を越えたパフォーマンスを奨励し調整することは、WMCAのエキスパートと初心者の間における基本的な特徴であり、方法は違っても教師主導型と学生中心型の両教室談話とも、アメリカ社会の規範にかなった調整を示している。
- タスクの達成を評価する場面では、教師の言語調整による援助があって達成したタスクであっても、全面的に初心者の手柄として評価されることがデータに現れている。これもWMCAの育児語とティチャー・トークが一致する特徴である。プールはインターアクションの開始部と終結部を比較して、we、 let's、 ourなど第一人称の複数形が開始部で頻繁に見られるのに対し、終結部分ではこれらに代わり第二人称詞又は学生の名前が使われていることから、教師の視点が集団から個人へ移動していることを指摘した。このような教師のパースペクティブの転換は、アメリカ社会におけるタスク達成に関しての規範と信条の反映と解釈されている。
- このように、教師はWMCAのやり方に沿って学生の積極的なインターアクションへの参加を奨励しているが、時に教師の役割は葛藤を生む。例えば学生に指示を与えなければならないが、ポーズや言いよどみ、フィラーなどのストレスの兆候がデータに顕著に現れる。これらは評価の際に示す強調されたイントネーションとなめらかなしゃべりとは対照的である。教師が学生に教室活動のアイデアを募った時は、授業計画と衝突するアイデアを「複雑すぎる」と査定し、クラスの選択の結果として却下するのである。学生をコントロールするときは、教師は不平等な人間関係に則ってあからさまに行うのではなく、様々なストラテジーを用いて教師と学生間のパワーの差の提示を避ける傾向が様々なフォームで表出している。
以上見てきたように、第二言語の教室は学習と教授の両プロセスにおいて強力に必然的に影響する文化的な特質を含んでいる。プールは「言語に依る社会化」のパースペクティブから、文化的に動機づけられ束縛される教師の言語の、多様性と役割を考慮するよう提案している。また、言語が教授される様々な文脈を考えた場合、特に外国語の環境において、インターアクションの規範が教授言語のネイティブ・スピーカーのものよりむしろ、その土地の集団の方により近い可能性に触れている。この点について、プール本人は研究の枠組みを越えるものであると断わりつつ、インターアクションを通じて言語教育が行われる以上、その文化的環境の複雑さに目を向ける重要性を指摘している。
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