Harvard University Review, Vol.53 No.2
PP.165-189, May 1983
"Literacy and Language : Relationships during the Preschool Years"
Catherine. E. Snow
就学前段階における識字と言語の関係性
キャサリン E. スノウ
- ●梗概
- 子供の言語学習のケースエスタディをもとに、筆者は言語と識字の発達に於ける重要な類似性を指摘した。全体は三部からなる。まず識字と話し言葉(oral language)は大変似ており、同じような方法で習得される極めて関係の深い技能(skill)であるということを論じる。次に、読みの到達度における社会階級の違いについて、違いが存在するのかどうか検証する。そして、最後に、識字活動に於いて、どのような要求が子供達になされたか、再分析を提案する。
- なお、筆者は本論に先立って、識字(literacy)と話し言葉(oral language)の意味を明確に定義づけている。それによると、識字とは、印刷されたものと直接関係のある活動や技能であり、落書きやクロスワードパズル、タイプをすることなども含む。一方、話し言葉とは、話したり聞いたりというコミュニケーションの全てをさしている。
- ●発達に於ける言語(注:話し言葉)と識字の間の類似性
まず、システムの複雑さ。話すこと、書くことを学ぶ際に、習得しなければならないシステムは複雑で、それらが複雑な仕事(task)であることは、子供たちがそれを身につけるのに傾けた努力や、費やしたエネルギーなどからも明らかである。
- 次に成熟の限界。言語や識字の発達に、成熟が大きな役割を果たしていることは誰もが認めるところである。年長の子供の方が一歳児より言語を速く、楽に学ぶし、同じ読みのレベルに到達するのも、二歳児より六歳児の方が少ない時間ですむ。
- 社会的なインターアクションとコミュニケーションの必要性。読みの学習(learning to read)は、伝統的に任地の問題と見なされてきたが、最近では社会的な現象として扱われている。習得のごく初期の段階では、読みの過程の社会性が特に有効であることは、ナサニエル(Nathaniel)と母親のインターアクションの例が示している。ナサニエルは、教育のある両親の第一子で、家庭での毎日の活動を18ケ月から36ケ月まで録音した。本を読むことは、ナサニエルのお気に入りの活動であった。
- この母子の例は、社会的なインターアクションの三つの特徴を示した。即ち、意味の偶発性(semabtic contingency)、足場組み(scaffolding)、責任の進行(accountability procedure)である。文字や数字の名前、単語、本の中の絵に関する質問に答えるなど、識字行動における意味の偶発性は、識字の早期習得と関係があり、中産階級の家庭の特徴でもあるが、子供を就学前に読み書きができるようにする。ナサニエルの母親は、識字活動の中で、名前を綴るという識字テスクを導入したが、足場組みは、タスクをする際の自由度を軽減する(例:誤りを退ける、文字捜しを手伝う)ので、ナサニエルを習得しようする困難な課題に集中させる。
- Dore(Intentionality,accountability and play、印刷中)は、主導権が子供にあり母親がそれに従う場合を積極的な無責任さ(positive nonaccountability)と呼び、逆に母親がタスクの完成を主張するように場合を積極的な責任さ(positive accountability)と呼んだ。母親は子供が答えを知っていると思われる時や、ベーヒートークではなくきちんとした発話をさせたい時は、わざと子供の質問に答えることを拒否する。
- 以上のような、言語(話し言葉の意)発達を促進する大人と子供のインターアクションは、識字教材や活動(literacy material activities)に於けるインターアクションの特徴でもあり、識字技能(skill)の発達にとっても貢献している。
- 文脈非依存性の増加(Increasing Decontextualization)について。子供の初期の発話は、文脈に依存するものとして論じられる。どのような文脈なのかを知らずして、発話の意味を理解することはできない。例えば、Chapman(1981)は、初期の言葉は演劇的、社会的に使われ、眼前にある物や現在の活動について述べ、会話能力は予想通りの質問をし、予想通りの答えをする親しい相手に頼っていると述べている。
- 成熟した大人の識字は、文脈に依存しないスキルであるが、就学前の段階でも、子供は文脈に依存した識字技能(例:Tシャツに印刷された名前やガソリンスタンドの名前を読む―ある対象の上に書かれたものは、その対象物のラベルである)から、依存しないもの(例:単語を単語として読む。絵の無い本で文を読む)へと発達をとげる。
- 幼い子供にとって、物理的な文脈(physical context)は、言語と識字技能にとって最も重要なサポートであるが、子供が二歳ぐらいになると、歴史的な文脈、即ち過去の経験もまた有効になってくる。例えば、「くまのプーさん」を読むことは、ガソリンスタンドの「Gulf」を読むのと異なり、物理的に文脈化された経験ではなく、何度もその本が読まれるところを聞いている子供にとっては歴史的な文脈であると言える。その後、文脈に依存しない本文への認識が高まり、ナサニエルの場合は、始めは絵について話していたが、40ケ月を過ぎた頃から、次第に絵よりも本文に興味を示すようになり、本文を指さして読むように要求した。
- ところで、言語習得に効果的な別のインターアクションは、決まり切った日課の利用(the role of routines)である。これは識字の習得にも役に立つ。例えば、ABCの本などを使った読書の日課である。読書は、語彙の習得、本の扱い、単語の認識、ストーリーの組み立てなどに好機を与える。ナサニエルは、ほんの二週間程度の間に「X is for X-word」という形式(format)を覚えてしまったのである。
- ●言語(話し言葉)と識字の発達に於ける相違点→絶対的なものではない。
教えることと学ぶことについて。言語と識字の習得は似ているが、同時に多くの相違点をも持っている。最も興味深い相違点は、言葉は自然に生じるが、識字は正式な教育に頼っているということである。とはいえ、言語習得が大人とのインターアクションに支えられているように、実際は、ほとんどの子供たちが、正式な教育ではなしに、ある種の同様のインターアクションから学んでいるのであって、むしろ共通点といえる。
- 多くの成功と失敗の高い危険性。ある子供たちは、普通の知性を持ち、或いはそれ以上であるにも関わらず、読みの学習に失敗したり、困難を覚えたりする。識字技能は、言語を使うことよりも、よりメタ言語的な機能(function)に依存している。子供たちの多くは、教えられなくとも話すことを学び、高度に文脈に依存したレベルにまでは到達するが、学校で普通に行われている読み書きは、文脈に依存しない言語使用の事例なのである。教育の過程は、文脈に頼らない言語使用の練習から成り立っている。
- 習得に於ける練習の役割について。練習は、L2の学習にとっては影響が大であると言われ、L1の習得のスピードに影響を与えるものとして考えられたことはなかったが、最近の研究では、調音や文を作る段階においては、練習の効果があると考えられている。慣習の義務(Imposition of Conventionality)について。慣習(しきたり)、即ち正しいやり方というのは、言語と識字とどちらの場合にとっても重要である。例えば、スペルのミスのように、犯せばそれが使用者に悪く跳ね返ってくることもある。印刷された物(識字)の於いて慣習に従うことは、コミュニケーションを成功させるという意味では、話し言葉の時よりも重要である。なぜなら、印刷物はより文脈に依存しないものであり、コミュニケーションの相手が遠くにいる場合は、訂正したり、確認したりすることもできないからである。読み書きは、ごく初期の段階から、慣習的な形を要求する。ナサニエルの例が示すように、識字についてより良く理解し、正しい綴りがあることを知っている子供は、規則に従わない書き方には反抗的であり、誤りを犯すことを嫌がる。
- ●家庭における識字
さて、なぜある子供は、読みの学習に於いて大きな問題を抱えるのか。この疑問に対する一つの答えは、社会階級の違いであり、家庭文化に於ける識字の重要性が挙げられる。しかしながら、最近の研究(Heath,1982)では、低所得者の就学前の子供たちも、本に親しみ、本との経験を持っている。恐らく、違いは単純な識字教材(material)への接近から生じるのではなく、本との経験に加えて、中産階級の家庭では、口頭の談話の中で、識字的な特徴を与えることで、子供たちに識字への準備をさせるのである。また、中産階級の識字的なインターアクションのいま一つの特徴は、母と子の間で、歴史を共有するような会話を取れ入れることである。母親は子供に、過去に共に経験した出来事について尋ね、内容や表現について考える手助けを子供に与える。
- ●話し言葉と書き言葉:別々の領域(総論として)
ナサニエルは、文脈に依存した識字能力について、多くの事例を示した。しかし、そのことは識字を扱う子供の能力を証明することにはなっても、文脈に依存しない情報を扱う能力について証明したことにはならない。子供たちの多くは、読み書きに失敗することはなく、むしろ非文脈依存の情報を理解したり、生み出したりする時に、むしろ躓くのである。G4ぐらいになると、学校の多くの識字活動は文脈に依存しないものとなる。子供たちは最早、ワークシートの穴埋めや、絵本を読むようには言われず、テキストを読み、はっきりとしたパラグラフを書くように言われる。子供たちの失敗の原因は、識字の難しさにあるのではなく、非文脈依存の言語使用と結びいた問題なのである。
- お話を聞かせてもらったり、本を読んでもらった経験は、就学前の子供の識字技能や非文脈依存の言語能力に大いに貢献している。子供たちが学校で成功するためには、識字と非文脈依存の言語能力の双方が必要である。識字技能は、学校で身につけることができるほど単純であるが、非文脈依存の言語を使用する能力は、家庭が子供に与える経験に負うところが大きい。
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