The Canadian Modern Language Review,
October 1993, pp.158-164
The Output Hypothesis : Just Speaking and Writing Aren't Enough
Merrill  Swain

アウトプット説:
話したり書いたりするだけでは十分ではない
メリル スウェイン

《概要》

 話し言葉であれ、書き言葉であれ、発話( language production )を通して言語習得(学習)は起きる( Swain,1985 )。本稿は、アウトプット説の四項目( way )と、第二言語教育にとっての意味( implication )について論じたものである。

●アウトプット説の四項目

  1. 発話は各自の言語学的リソースに意味のある練習の機会を与える。可能な限り流暢に話そうとすることで、流暢さを獲得する。
  2. 発話は学習者に知らないことや、部分的に知っていることについての認識を促す。多くの場合、我々は単語の組み合わせや言語外の情報からメッセージを受け取る(Krashen,1982)。理解できたと思うことで、単数と複数の区別のような言語学上の信号を見逃してしまう(Gary&Gary,1981)こともある。学習者が彼らの知識の基盤に透き間(gap)を見つけた時、(a)無視する、(b)透き間を埋める情報を得るために知識を探る、(c)透き間を認め、関係のあるインプットに注意を払う、といった反応が予想される。透き間を無視することは、彼らの中間言語(ieter-language)がそれ以上は進歩しないということである。
  3. アウトプットは、仮説をテストする機会を与える。生徒たちは、例えば「こういう言い方はできるのか」とか「これは正しいのかどうか」といった質問をする。
  4. 生徒たちにフィードバックする機会を与える。フィードバックは大変に有効であり、学習者に彼らのアウトプットを修正させ、あるいは再生産させる。

●第二言語教育にとっての意味(Implications for Second Language Learning)

 話したり書いたりする教室内での機会を、学習者に与えることは絶対的に必要なことである。しかし、ただ話したり、書いたりするだけでは十分ではない。学習者は、彼らのリソースを活用するように仕向けられるべきだし、言語能力(linguistic ability)も十二分に伸長すべきである。また、自らのアウトプットに疑問を投げかけ、理解や適切さや正確さを高めるために、それを修正する方法についても考えてみる必要がある。

 教師主導型(teacher-led)の話し合いでは、生徒の発話は短くなりがちで、統語論的にも単純である。言語的な能力を限界まで推し進めていく上で、生徒たちには、より広範囲の談話に関わる機会が必要である。その点、共同学習( collaborative learning )は好機を与える。共同学習のようなグループワークは、教師主導型の授業( teacher-fronted class )に比べて、アウトプットの量も多く、意味のやり取り( negotiation )も多い( Long&Porter,1985 )。また、非母語話者同士がインターアクトしている時の方が、非母語話者と母語話者がインターアクトしている時よりも、より多くの意味のやり取りが起こっているようである(Varonis&Gass,1985)。
 共同学習では、どのようなタスクが与えられるかが重要である。それは、やり取りの程度、談話の種類や長さ、生徒たちを等しく参加させる機会、関わる程度などとも関連がある。一般のクラスや第二言語のクラスでは、共同学習を成功に導くための幾つかの要素が明らかになっている。それらは、「タスクの周到な計画」、「グループ構成に対する理性的なアプローチ」、「タスクを成功させるための、参加者の責任」、「グループを効果的に動かすために必要な social skill の開発」(Olsen&Kagan,1992)であるが、その他に五番目の要素として、タスクがグループのメンバーの間で、積極的な相互依存となることが挙げられる。積極的な相互とは、それぞれの参加者が、タスクを学んだり完成させたりする上で、グループの他の参加者にある程度依存しているということである。 共同の活動(activity)の中でも特に効果的なのは、目標言語そのものに議論の的が絞られている活動や、生徒たちが彼ら自身のアウトプットや再生産や修正について一緒に考えられるものであることである。こうした活動には実に様々なものがあるが、活動の際は、生徒たちの能力によって、興味によって、人種混合(ethnic-mix)によってグループを分けることができる。教育者は生徒たちに、彼ら自身の学習に責任を持たせるようにすべきである。        


 戻る